先週末にツイッターで建築の日本展について書かれたレビューについて議論をよんでいたので、私も先日書いた記事に加えてすこし感想を書いておきたいと思います。
[参考] 小特集:森美術館「建築の日本展:その遺伝子のもたらすもの」レビュー
https://goo.gl/zMCptj
[参考] 関連ツイートまとめ
https://togetter.com/li/1238216
僕の見終えたときの率直な感想は、アーカイブとしては面白い→ 僕にとっては図録でいい、と思いました。でも、たまの日本帰国で日本のプロジェクトをたくさん見られてうれしかったです。
体験型展示や大きい模型などについては、展覧会の流れとはあまり連動してないと思いました。以下のふたつは会場で体験できたよかったと思います。
●Power of Space→新しい空間体験のサンプル。扱ってるものが云々より体験することが大事。
●待庵→普段は入れないものに入れる。
話題になっている黒瀬さんの批評の内容は、展覧会を見ているときにはあまり考えていなかったけど、内容としてはベトナムに7年住んで最近思うことに関係があると思いました。
黒瀬さんの文章の最後にある「 この国の歴史において、ある周期でやってくる排他的な「固有のもの」への信仰 」という言葉が、自分がかつて信仰していたものに思えました。
日本人として日本でずっと育ってきて建築を学び、ベトナムで建築を設計し始めたときになんとか日本流のやり方でできないかと試行錯誤していました。「日本のものはベトナムのものよりすばらしい」と正直思っていましたし、ベトナム人からもそう言われ期待されていました。いわゆる「日本最高!」です。でもしばらくベトナムに住んでいると、ベトナムにもいいところがたくさんあると気づきました。日本のルールをベースに思考していたときとは違うやり方がベトナムには山ほどありました。そのやり方はルールとか方法ではなくて、みんなが自由に発想して勝手にやる、というベトナム人の気質によるものでした。そんなやり方では当然失敗や日本人にとって非合理的なこともたくさんあって、はじめはかたくなに拒否をしていました。
徐々に巻き込まれていくことによって、自分が今まで考えなかったような側面をみるようになりました。住んでいるというのは思っていたよりも周囲の環境に巻き込まれていく力を受けやすいですね。
私自身、ハノイにあるギャラリーから建築の個展を依頼されています。
今年の12月にLearning from Hanoi(仮)という展覧会を行う予定です。自分の作品の展示もしますが、主にこのハノイに住んでいる7年間で影響を受けたことや学んだことについて、善悪問わずプレゼンテーションできればと思っています。
テーマが大きすぎるとは感じているのでどうなるかまだわかりませんが、批評をいただけるような展覧会になればいいなと思っています。
*アップ後、青井哲人さんによる前向きな編集後記がでてました。
[追加参考] https://goo.gl/3TSc7U
「 欧州に対して文化的にローカルだったアメリカで、MOMAはローカルな固有性ではなく普遍軸の提示を試みた。戦後も普遍的評価軸を担う中心となり、日本は国際的な評価軸に乗るようにローカルを組み立て続ける。地域主義(地方主義)は、それ自身の成立のために普遍的価値基準を原理的に必要とし、それが捻じれの軸ともなり、隠蔽されもする。 」引用
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